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   育児休業法が施行された翌年、1993年に育児休業を民間企業でとった。                このときの取得率は0.00001%であった。
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イクメン 太郎
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エンジニア
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育児
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 2024/05/06 (Mon)  at 19:39:29
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 2011/07/19 (Tue)  at 00:27:06
婚活 1992年、鳴り物入りでお父さんが育児休業をとれるようになった。我が会社は早々に対応した。社内規定が改訂されたのは1992年4月1日であった。当時の規定では取得の期間は、1歳未満までとなっている。また、休業中給与はでないものの、社会保険、労働保険の資格は継続し、本人負担分は会社がだしてくれる。以上があらましであった。
これは私の考えであるが、会社としては当時上場を目指しており、先進的な姿勢を社員に示したと思われる。
これにはある背景がある。育児休業取得者がある事業所には税制上の優遇処置があった。さらに、会社としては申請者の出現は想定外であったにちがいない。
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 2011/07/19 (Tue)  at 00:27:44
1993年1月、生後8ヶ月である。
長男はすくすくと育ち、年を越した。
言葉はなんごを過ぎ、それでも訳の分からない言葉を発している。
手に使うことで、立つこともこともできるようになった。
正月明け早々、僕は会社に育児休業を申請した。
1月25日付けで取得通知書が下りた。
当時、育児休業は「満一歳の誕生時の前日まで」となっている。
そこで、お母さんが昨年の4月1日よりの1年間とっている産休が終わる3月31日から、長男の1歳の誕生日の前日、5月12まで、僕が育児休業をとることにした。
3月になると僕は部下に対して、簡単な仕事の引継を行った。
直属の上司である部長には、ほとんど私的な報告書を提出した。
育児休業に関する考え、了解、引継、などである。
部長は、快く受け止め、笑っていた。
「おまえがなー」という顔をしていた。

 2011/07/19 (Tue)  at 14:32:13
税金 オーストラリアの歴史・産業 いよいよ育児休業に突入する。生後役11ヶ月、1993年4月1日である。今日からはお母さんが産休あけで1年ぶりに仕事にいく。そして長男を慣らし保育として保育園に預けることになる。
これは僕の休業あけ、1歳の誕生日の5月13日からは当然の事ながら僕も仕事に行く。すでに職場に復帰したお母さんともフルタイムで働く事になる。長男は1歳の誕生日からずーと保育園にお世話になることになる。慣らし保育はその準備期間となる。

★ ILLUSTRATION BY nyao
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