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   育児休業法が施行された翌年、1993年に育児休業を民間企業でとった。                このときの取得率は0.00001%であった。
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イクメン 太郎
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 2024/05/06 (Mon)  at 07:08:55
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 2011/07/19 (Tue)  at 00:09:42
1992年5月11日、会社に陣痛が始まったと、帰郷先から連絡が入った。僕はとりいそぎ冠婚葬祭の休暇をとり、車で飛ばしその日のうちに、お母さんがいる産婦人科に入った。
お母さんの状態は、陣痛の周期が不安定で、長い、子宮口の開きが狭い。これは難産を意味する。
5月11日、12日、一向にでてくる気配はみられない。
分娩室隣の待機室で傍ら仮眠をとりながらつき合う。陣痛が起こると時間と周期のメモを取る。しかし、でてくる気配がみられない。
もう2日たつ。陣痛がくると例の、ヒィヒィフー、ヒィヒィフー、ヒィヒィフーと言って対処するしかない。僕は、うろたえるだけである。
5月13日、陣痛がくるが、子宮口は思ったより開かない。そのたびに、お母さんは死にものぐるいである。
ヒィヒィフー、ヒィヒィフー、ヒィヒィフーといいながら悶絶を繰り返す。
胎児の心拍のモニター音が大きく聞こえる。ドクッ、ドクッ、ドクッ、というとしばらく聞こえなくなる。そしてまた聞こえる。聞こえないのは何だるう。ビビル。胎児も1つの命としてがんばっているのだ。しばらくこの状態が続く。
そして、けいおう切開をぎりぎりで退避して、長男を出産した。
3140gで、正常分娩であった。この瞬間の感動とは終わったことがすべてであった。よかったと思った。
お母さんは、汗だくでへとへとであった。が反面、充足感に満ちあふれすべてが終わったという顔をしていた。
これは、いかなる手段を講じても味わえないと思った。
お母さん、いや女性の偉大さ、尊さを思い知った。そしてこの時のお父さんの無力さを感じた。
これが、第一子男子誕生の瞬間であった。
イクメン志願者殿へ、是非とも出産から立ち会ってほしい。
それでないと、意味がないような気がする。
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