育児休業法が施行された翌年、1993年に育児休業を民間企業でとった。 このときの取得率は0.00001%であった。
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2011/07/19 (Tue) at 00:08:36
1992年4月1日、お母さんは1年間の産休に入った。
出産予定日の40日前であった。
産休にはいると同時に帰省して、じいちゃんばあちゃんのいる実家で
待機していた。それがなによりも一番安心であった。
ちなみに、お母さんは東京都職員、区教諭であった。
女の先生は教育現場では必要な存在であり、職務上優遇されている。
産休代替えの先生という職分があり、お母さんのかわりにその先生が派遣されてくる。
学校の職場では滞りなく引き継がれる。
お母さんは3年後の次男出産時にも産休を取得した。
お母さんが、”専業主婦”となったのはこの2年間だけである。
言い返すと、僕は2年間だけ専業主婦を持ったことになる。
ちなみに我が家は独立採算制でスタートした。
家事、家計、仕事、育児…基本的にすべて平等に負担する。
いわゆる今で言う、男女共同参画らしい。
これは、経済的な理由よりもお互いの人権を尊重する事であった
ちなみにそこらにある、役所のこのたぐい企画はかけ声だおれである。
やめてもらいたい。全く税金の無駄使いである。
出産予定日の40日前であった。
産休にはいると同時に帰省して、じいちゃんばあちゃんのいる実家で
待機していた。それがなによりも一番安心であった。
ちなみに、お母さんは東京都職員、区教諭であった。
女の先生は教育現場では必要な存在であり、職務上優遇されている。
産休代替えの先生という職分があり、お母さんのかわりにその先生が派遣されてくる。
学校の職場では滞りなく引き継がれる。
お母さんは3年後の次男出産時にも産休を取得した。
お母さんが、”専業主婦”となったのはこの2年間だけである。
言い返すと、僕は2年間だけ専業主婦を持ったことになる。
ちなみに我が家は独立採算制でスタートした。
家事、家計、仕事、育児…基本的にすべて平等に負担する。
いわゆる今で言う、男女共同参画らしい。
これは、経済的な理由よりもお互いの人権を尊重する事であった
ちなみにそこらにある、役所のこのたぐい企画はかけ声だおれである。
やめてもらいたい。全く税金の無駄使いである。
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