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   育児休業法が施行された翌年、1993年に育児休業を民間企業でとった。                このときの取得率は0.00001%であった。
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 2024/05/06 (Mon)  at 17:27:01
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 2011/07/19 (Tue)  at 00:24:26
1992年5月13日、長男出産10日後、産婦人科を退院した。
養生先は宮城県の実家である。ここで約1ヶ月休養した。
出産とは、よほど体力を消耗するらしい。
実家でもしばらくは、ボーとして元気に起きられなかったという。
先生からも、3ヶ月は無理をしないようにと言われていた。
長男はいたく健康で、すくすくと母乳で育つ。
僕は週末には帰省していたがその、成長の変化は著しかった。

お母さんは、産休代替えの先生に任せ、育児休業中である。
育児休業は3年後の次男出産時にも取得した。
お母さんが、”専業主婦”となったのはこの2年間だけである。
言い返すと、僕は2年間だけ専業主婦を持ったことになる。
ちなみに我が家は独立採算制でスタートした。
家事、家計、仕事、育児…基本的にすべて平等に負担する。
いわゆる今で言う、男女共同参画らしい。
これは、経済的な理由よりもお互いの人権を尊重する事であったちなみにそこらにある、役所のこのたぐい企画はかけ声だおれであ。
やめてもらいたい。全く税金の無駄使いである。

男女平等…、しかし、すでに崩れた。
出産事業は女性だけしかできないし、そのリスクは男性には負えない。
まったくをもって、無力であった。まざまざと見せつけられた。
この不平等の帳尻あわせは、最低でも会社を堂々と休んで、できる限り多く育児を担当する事であると思った。

1992年6月、生後1ヶ月、長男は東京の土を踏んだ。
まだ、首が座らない。ほとんど寝ている。
起きているときは、ギャーギャー泣いている。
正真正銘、赤ちゃんである。
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